息子いっちゃんの心臓カテーテル検査が終わり、結果と術式と今後について話を聞きました。
検査結果と今後
いっちゃんの心臓は、両大血管右室起始の中でも、完全大血管転位 + 心室流出路狭窄であると診断されました。
つまり、
- 右心室と左心室の間が塞がっていない
- 大動脈と肺動脈の位置が逆転している(クロスしているのが正常だが、クロスしていない)
- 肺動脈の入口に筋肉の盛り上がりがあり、入口が狭くなっている
その結果、取られる術式は、DKS(ディーケーエス)吻合 + 右室肺動脈導管(姑息的ラステリ手術)となりました。
簡単にいうと、
- 肺動脈と大動脈を吻合(ふんごう=くっつける)し、左心室から両大血管(自前の大動脈と肺動脈)を通って全身に動脈血を送る。(DKS吻合)
- 右心室から肺に向かう人工血管をつける。(ラステリ手術)
- 今回の手術では、両心室の間に壁をつけない(=根治手術ではない。これが「姑息的(=一時しのぎ)」とつく理由)
[ 人工血管をつけ、左心室と右心室の間に壁をつくる ] までが、本来のラステリ手術です。
ただ、今はあえて壁をつけないことになりました。
もしかすると、まだ左心室が単独で働けるほど十分な大きさでない可能性があり、いま心室中隔をつくるのはかえってリスクが高いと考えられる為です。穴を塞ぐ作業は、次回人工血管をつけかえる時に行うこととなりました。
「人工血管を取り付ける」
それはつまり、
いっちゃんは今後、体の成長や人工血管の劣化に合わせて、定期的に心臓を開いて人工血管をつけかえる人生となりました。
簡単に納得できたわけではありません。
根治手術をしたら、外科的な処置は終わると思っていましたから。
今後、一生涯かけて定期的に心臓手術を受けるなんて。
本当にその選択しかないのか、親が本人に代わって、納得できるまで理解する必要がありました。
親が理解・納得できていないと、のちに子供に納得のいく説明をしてあげられないからです。
担当医師に複数回時間をつくってもらい、解説して頂きました。
いっちゃんは明日、3度目の手術です。
そして術後、ついに退院を目指します。
道は開ける
いっちゃんに大変な苦労をかけて申し訳ない気持ちと、いっちゃんの人生を悲観して暫く泣いていました。
夫はそれをそばでずっと見ていました。
翌日から、ひとりで面会に向かう道すがら、デール・カーネギー著「道は開ける」を久々に聞きました。
そして、考えました。
私が泣いていたら、夫もいっちゃんも楽しくないなぁ。
私が笑っていたら、夫もいっちゃんも楽しく過ごせるよね。
どっちがいい??
答えは一目瞭然でした。
夫は私に気持ちを引っ張られずに耐えてくれましたが、私は危うく夫の元気まで奪ってしまうところでした。
目の向け方
いいことも沢山あります。
- 素晴らしい人(夫)と一緒になれた
- 夫との間にいっちゃんを授かれた
- いっちゃんは素晴らしいお父さんに恵まれた
- 無事に産まれてきてくれた
- いっちゃんはとてもかわいい
- いっちゃんはとても頑張り屋さん
- いっちゃんはとてもいい子
- いっちゃんは生きている
- いっちゃんが生きられる術がある
- いっちゃんはこれからも生きられる
- いっちゃんは退院できる
- いっちゃんは走り回れるようになる
- 優秀な先生方に恵まれた
- その先生方がたくさん話し合っていっちゃんを助ける術を考えてくれた
- 病気があるから、強制的に歯を大切にする(歯周病が原因で人工血管周辺で感染症を引き起こす可能性あり)
- 中高年特有の病気のリスクを抑えられる(血液サラサラの薬を一生飲む + 高血圧予防が必要な為太らないよう気をつける)
ほら、いいことがたくさん。
外科医の説明によると、歯につく細菌が大動脈瘤の細胞から見つかった例もあるそうで、歯の健康=全身の健康なのだそうです。
永久歯が生えた頃から歯科医院で定期的に歯磨きの指導を受けることを習慣にしたら良い、とアドバイスを受けました。
心疾患が、より取り返しのつかない事柄からいっちゃんを救ってくれるかもしれません。
いずれいっちゃんと一緒に、下の書籍の中の「あるラバイの最悪で最良の災難」を読みたいと思います。
もし、今とても辛い事柄を抱えて悩んでいる人は、ぜひ読んでみて下さい。
最悪だと思える事態は、実はもっと悪い事からあなたを救ってくれているのかもしれません。
時間とエネルギーの使い方
泣いていてもなにも良くならない。
時間だけが流れてしまう。
しかも悲しい時間として。
さらに、不安は様々なストレス系の病気を呼び寄せる。
不安に支配されると、いいことはないけれど悪いことは起こる。
じゃあ、不安を感じて過ごす時間って少ない方がいいよね。
私は、仕事を変えたいと思う。
いっちゃんの体調に柔軟に対応できる仕事、自宅でできる仕事、時間の融通がきく仕事。
いっちゃんには自分の為に生きて欲しい。
私は家族の為に生きたい。
いっちゃんが今後手術で入院する時は、必ず付き添いたい。
その為に、泣いてウジウジしている時間とエネルギーを、新しい仕事の形作りに使いたい。
それと、主人に言われました。
「勝手にひとの人生を悲観してはいけない。『いっちゃんは幸せになれない』と他の人が決めつけてはいけない。いっちゃんが幸せかどうか、それを決めるのは本人だ。」と。
確かにそうです。
他人から、「あの人はかわいそうだ」と思われる人生を生きるなんて、本人が嬉しいはずがありません。
私は息子に対し、とても失礼なことをしていました。
いっちゃんが定期的に心臓手術を受けなければいけないことは事実だけど、それがいっちゃんの人生の全部じゃない。
一部分に過ぎない。
幸せかどうかを決めるのは病気じゃなく、思考だ。
思考が人を幸せにも不幸にもする。
物事の受け止め方によって、私達は幸せにも不幸にもなり得る。
変えられないことを受け入れ、変えられる部分をどんなふうに何色に彩るか。
今、我が家の力が試されているんだと思います。
不安との付き合い方
文中に出てきた書籍は、いっちゃんの病気がわかってから、何度も読み返している本です。
人は不安とどう向き合うべきか、が記されています。
読んだからといって、まったく落ち込まずにいられるわけではありませんが、これで何度も気持ちを立て直しています。
今回も元気を取り戻すことができました。
人は皆、人生山あり谷ありですね。
夫といっちゃんとともに、楽しく乗り越えたいと思います。
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