私はブロガーです。ブログを書き始めてから1年が経ちました。
今日は、そんな私が過去に最も「他の人のブログを必要とした時」の話を書きます。
朝にブログをアップしていますが、今回は少々重めの話で朝には不向きかもしれません。ご了承の上、お時間を見つけて読んでいただけると幸いです。
ブログ書き始めたきっかけ
私がブログを始めたきっかけは、収益化できると聞いたからです。収入源のひとつにしたくて、ブログを書き始めました。
当初も今も、「人の役に立つ記事とは何か」を模索しながら書いています。
息子の病気
現在1歳3か月になる我が子は先天性心疾患をもって生まれました。心臓奇形です。
彼が生後5か月の頃、心臓を治すための「術式」が決まりました。
それは「心臓に人工血管をつけて正常な働きをさせる」というものでした。幼い子供に人工血管をつけるということは、定期的に心臓手術を繰り返す人生となることを意味します。体の成長や人工血管の経年劣化に伴い、付け替え作業が必要だからです。
妊娠期にお腹の中の子供の心疾患が見つかってから術式が決まるまで落ち込むことは何度もありましたが、術式が決まった時の辛さは他と比べ物になりませんでした。
彼が助かる喜びよりも、一生涯心臓手術を繰り返す人生となることのショックの方が大きかったのです。
母親である私は「息子の心疾患が自分のせいではないか」という考えを止めることが出来ませんでした。何度もこの思いがよぎり、責任の重さに押しつぶされそうになりました。「私は息子になんてことをしてしまったのか」と。
自分の気持ちを正確に表すと、息子に対する「申し訳なさ」と「自責の念」、健康な子供を産めなかった「劣等感」だと思います。
先天性心疾患の原因はわかっていません。心臓奇形が発覚した時、医者は「心臓奇形になる原因はわかっていない、お母さんのせいではない」と説明しました。
でも、母親である私は責任を感じずにはいられませんでした。術式が決まった時は特に強く思いました。「なんでこんなことになってしまったのだろう」「妊娠初期に腰を強く打ったからか」「自分の食生活が原因か」「高齢出産が原因か」
私は「母親は10か月かけてお腹の中で子供を育てる」の意味を痛感しました。私のお腹の中で育ちましたから、私のせいじゃないかもしれないけれど、「私のせいかもしれない」とどうしても感じてしまいます。
「父親は責任を感じずに済んで、気楽でずるい」と何度も思いましたし、実際に言葉にも出しました。
ブログを読みたい
私は同じ境遇の方の声を聴きたいと強く思いました。
心臓奇形に規則性はありません。心臓奇形に対して取られる術式は様々です。私は、人工血管をつけたお子様のお母さんの声を聴いてみたいと思いました。
「私が感じたような思いをあなたもしたのでしょうか?」
「その思いをどんな風に整理したのですか?」
「お子様は定期的に必要になる心臓手術をどのような感情で受け止めていますか?」
でも当時、同じ状況のお母さんと接点がありませんでしたし、もし話せたとしても、センシティブなことなので直接聞くのははばかります。
私は、同じ状況のお母さんがその思いや経験を綴っているブログはないかと探しました。
あの時ほど人のブログを読みたいと思ったことはありませんでした。
まとめ
あの時、個人のブログで最も求められている内容は、「苦悩」や「それをどのように乗り越えたか」、つまり「感じたこと」や「経験談」だと思いました。
苦悩をどのようにして乗り越えたか、「誰も書いていないなら、私が書こう!」と思っても、自分はまだ乗り越えられていません。責任を感じたままです。未知の領域ですから「乗り越えた過程」を私はまだ発信できません。
でも、ある日突然乗り越えられるわけでもないでしょうから、乗り越えられていない日々を綴ればいいのかな。もしかすると乗り越えられる日は来ず、一生抱えていく気持ちなのかもしれません。
「息子がどんな人生を歩むのか」
以前、彼の人生に対して明るいイメージを持てないと正直に医者に伝えたことがありました。その女医は「彼の未来は決して暗くないよ」と言いました。
息子の心臓は今もまだ穴があいたままの状態なのですが、明るくて元気で愛想がよくて、難病であることを忘れるくらいです。最近、息子の疾患が「指定難病」にあたると知ったのですが、その元気の良さからは違和感しか感じません(笑) 「は?この子が指定難病????」と。
人工血管のおかげで、一見しただけでは病気だとわからないくらい、毎日楽しく動き回っています。
「あの時女医が言っていたことは、こういうことか」と感じました。定期的な手術は必要になりますが、確かに息子は暗さとは程遠いところにいます。
彼が背負う苦労を思い、「彼を助けることが正しいことなのか?」と自問したことがあります。そもそも彼の命について他人の私が決めて良いはずがないのですが、それでも「助けることが果たして本人のためになるのだろうか?」と考えてしまいました。
でも今、こんなに元気に笑ったり歩き回る姿を見ると、助けられて良かったと思います。
これからも日々このような小さな気づきがあるのでしょう。私はこれもブログで発信していきたいなと思いました。それが同じ境遇のお母さんの助けになればいいな、と思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました(^^♪
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